現在、養殖真珠誕生の地である鳥羽市の小さな島にはミキモト真珠博物館があり、ここで真珠養殖にまつわる産業について学ぶことができ、クラシックや現代のパールコレクションを楽しむこともできる。 採取時期には、貝柱をこの地域の魚屋でよく見かける。真珠を採取した後、この貝柱と呼ばれる殻に残る閉殻筋は惣菜として使われる。アコヤ貝から真珠が作り出せなくなると、貝柱は販売用に取り出され、刺身やお寿司、揚げ物や煮込みにして食される。 真珠の小売りを営むある人はこう語る。「真珠は、アコヤ貝と人の手によって生み出されるただ一つの宝石です。特に、アコヤ貝はその生命と引き換えに真珠を生み出すのです。だから貝柱も無駄にすることはできません。」 清浄的矢牡蠣 隣の的矢湾では食用の貝が生産されている。佐藤忠勇が1925年、ここに初めて牡蠣の養殖場を作った。現在、養殖に携わる家族は8戸から10戸しか残っていない。 志摩半島の山々を水源とするたくさんの川のうちの3本の川が流れ込む的矢湾はプランクトンが多く、牡蠣や海藻の養殖に欠かせない栄養分が集まる入江である。天然の牡蠣は普通、品種によっては出荷まで2年から3年を要するが、ここはカキ養殖に最適な環境であるため、たった1年で生育する。佐藤一家は代々この湾で牡蠣を今も養殖している。 牡蠣の種苗は、牡蠣養殖の主要産地である広島湾から持ち込まれる。専用バスケットに入れられた後、小舟で竹筏まで運ばれて筏に縛られ、水深1メートルほどのところに吊り下げられる。これは、水面の方が、プランクトンがより多く密集しているからである。 1年から1年半が経過すると、牡蠣は回収され、再び陸揚げされる。そこでまず手洗い、そして機械洗浄され、殻の表面に付着した泥や海藻などの不純物が取り除かれる。 最後に、牡蠣の内臓を洗浄するため、紫外線で殺菌された海水の入った水槽に牡蠣を18時間浸ける。 こうして育てられた佐藤養殖場の牡蠣は、甘く、ふっくらとして柔らかく、日本中で高く評価されている。欧米人が親しんでいる牡蠣と比べて、塩気は薄く、渋みもほとんどない。
この独特の牡蠣の浄化と洗浄の方法は、1953年に導入されて以降、佐藤養殖場で代々守り続けられ、その牡蠣は「清浄的矢牡蠣」のブランドで最高級牡蠣として販売されてきた。現在も美食食材として東京や関西のホテルやレストランで引く手あまたの逸品だ。
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